銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪 第9回 シネスイッチ銀座

銀座の名所の灯が1つ消えるという知らせが入りました。シネスイッチ銀座の閉館です。時代とともに先端を担ってきたこの街の宿命とはいえ、それを多くの惜しむ声が聞こえてきます。今回はそのシネスイッチを見せていただくことになりました。

銀座四丁目、銀座通りの1本裏、銀座ガス通りにあるシネスイッチ銀座。
銀座四丁目、銀座通りの1本裏、
銀座ガス通りにあるシネスイッチ銀座。
荻窪
銀座四丁目の銀座ガス通り沿いにあるミニシアター「シネスイッチ銀座」が2026年10月25日をもって閉館するというので、急いで来てみました。今回は、諸事情で宇井野さんが欠席。わたしひとりでの、初の単独たてもの探訪となります。宇井野さん、残念でしたね。
宇井野
先日はご一緒できなくてすみません。個人的に思い出のある建物だったので、訪問できなかったのはとても残念…いろいろ聞かせてくださいね。
荻窪さんはここで映画を観た思い出はあるんですか?
荻窪
それが記憶を引っ張り出してみたら、あったんですよ。1988年……ですからなんと38年前。「予告された殺人の記録」というガルシア・マルケスの小説を映画化したものでフランスとイタリアの合作です。あの頃、ヨーロッパ映画を単館上映してくれるミニシアターが流行ってて、友人と一緒に銀座まで来たんですね。
宇井野
私の店はご近所なので映画鑑賞の前後に立ち寄ってくださる方もよくいらっしゃったんですが、趣味人!ていう雰囲気の方が多かったです。上映作品の趣向がお客様からも伺える感じでした。
荻窪
あの時は、まだ学生だったんじゃないかな。普段、銀座に来ることはないので、すごくアウェイ感があったのですよね。
宇井野
わかります。私たちの世代は、今の若い方よりも「銀座は大人が行く街」という刷り込みが強かったんじゃないかな。
荻窪
シネスイッチというしゃれた名前といい、建物の雰囲気といい古い感じはしなかったので、今回、老朽化で建て替えると聞いて驚いてます。
宇井野
老朽化という言葉が似合わない映画館ですよね。
荻窪
いったい、どのくらい古くからあったのか、建物の歴史をみてみましょう。実は最初の映画館開館時は「シネスイッチ」じゃなくて、「銀座文化劇場」という名前だったんです。
宇井野
それはまた、レトロな名前ですね。いつの開館ですか?
荻窪
昭和30年だそうです。昔の写真をお借りしてきたので見てみましょう。オープン当初の写真です。今はほぼみなくなったアドバルーンで「祝 銀座文化劇場21日開場」と書かれてます。
銀座文化劇場開館時に掲げられたアドバルーン。昭和30年代にはこうした宣伝がポピュラーだった。
銀座文化劇場開館時に掲げられたアドバルーン。
昭和30年代にはこうした宣伝がポピュラーだった。
宇井野
アドバルーン!当時はずいぶん目を引いたでしょうねえ。大掛かりだし、費用もかかりそう……。
荻窪
次は映画館の入口です。左端に花輪が見えるので、オープン時でしょうか。これぞ昭和の映画館という雰囲気がいいですよね。上映されているのはジャン・ギャバン主演の「フレンチ・カンカン」でしょうか。
昭和30年代の銀座文化劇場。エントランス左手に花輪が写っている。
昭和30年代の銀座文化劇場。
エントランス左手に花輪が写っている。
宇井野
この入口は今と同じ場所?
荻窪
そうなんです。改装前のエントランスですね。当時と今をちょっと見比べてみましょう。
銀座文化劇場時代の銀座籏ビル。外壁が今とは違う。
銀座文化劇場時代の銀座籏ビル。外壁が今とは違う。
現在の銀座籏ビル
現在の銀座籏ビル
宇井野
現在のすっきりした姿と比べると、“歓楽街感”がありますね。あ、ハタボウルって文字がみえません?ボウリング場もあったんですか?
荻窪
気付きました?実は、昭和45年に3〜4階の映画館をボーリング場に転換したんです。ボーリングブームの時ですね。もともとシネスイッチ銀座は籏興行が運営しており、映画館だけじゃなくて、喫茶店やお座敷料理店なども自社で経営して、映画を観てごはんを食べて、お茶をしながら感想を語り合って、とここで完結するようになってたんです。当時は映画を観て、お茶をして、という文化が定着していたのでしょうね。
映画館入口の横にもうひとつエントランスがあり、そこに「銀座ハタボウル」と書かれている
映画館入口の横にもうひとつエントランスがあり、
そこに「銀座ハタボウル」と書かれている
宇井野
すごい!小さなレジャーランドだったんだ!ボーリングブームは相当の盛り上がりでしたし、ここも賑わっただろうなあ。写真をみると1Fに喫茶店がありますね。私の思い出でいうと2階に凛という珈琲の美味しい喫茶店があったんです。ハンドドリップで。私、打ち合わせやら自分の休憩やら、ほんとにお世話になりました。そういえば、なぜ「ハタボウル」? 籏興行だからでしょうか?
荻窪
そうなんです。籏興行のハタ。このビルも銀座籏ビルですし。籏興行はもともと岐阜県で山林事業を営んでいたんだそうです。その木材を東京に卸すために東京にも拠点を持っていて、昭和の初めにとある興行主から劇場を作ってくれないかといわれて、作ったんだそうです。そうしたら引き渡し前にその興行主が興行できなくなり、興行もやってくれといわれて引き継いだのがはじまりだそうです。その後、戦後になって銀座に進出して昭和30年に銀座籏ビルを建てたということですね。
宇井野
なんだか映画が1本作れそうな波乱万丈があったんですね。
荻窪
一時期は銀座のみならず、他にもボウリング場を運営してたようです。そのボウリング場ですが、ブームが終息すると、昭和53年には再び映画館に改装されました。地下が銀座文化1、3,4階が銀座文化2となります。
宇井野
銀座文化という名前には聞き覚えがあるんですが、実際に訪れたことはないなあ。
ということは、地下の映画館が開業当初からあるのですね。はいってみてどんなところが印象的でした?
荻窪
右手の大きな階段を降りるとすぐに映画館で、すごく懐かしい感じでした。そこがシネスイッチ1で、開業当初の意匠がそのまま残ってるそうです。
シネスイッチ1の入口。よく見ると昔と変わってない。
シネスイッチ1の入口。よく見ると昔と変わってない。
シネスイッチ1へカーブしながら降りていく階段。
シネスイッチ1へカーブしながら降りていく階段。
荻窪
階段の様子を昔と今で見比べてみると。
銀座文化劇場時代の階段
銀座文化劇場時代の階段
現在の階段
現在の階段
宇井野
美しいカーブは当時のまま!なんですね。
荻窪
そしてこの壁も当時のままなんです。大理石で、化石も埋まってると教えていただきました。こちら、アンモナイトの化石です。わかります?
よく見ると、壁にアンモナイトの化石が
よく見ると、壁にアンモナイトの化石が
宇井野
わー、かっこいい!これは見つけたら嬉しくなっちゃいますね。素材も吟味して選んだ建物なんだろうなあ。
荻窪
降りたところが2階席への入口です。中に入れていただきました。
2階席にはいったところ。
2階席にはいったところ。
2階席からみたスクリーン
2階席からみたスクリーン
宇井野
座席は新しくて、快適そうですね。
荻窪
はい。座席は最近のものですね。この2階席の下に映写室があります。では1階席の方におります。降りたところに自販機が置いてあるのですが、昔はここに売店があったようです。
階段を降りたところには今でも自動販売機がある。
階段を降りたところには今でも自動販売機がある。
昔は売店があったようだ。公衆電話や灰皿が昭和を現している
昔は売店があったようだ。公衆電話や灰皿が昭和を現している
宇井野
自動販売機は便利ですものね。でも、この売店で何を買ったのか、覚えている方もいらっしゃるんだろうな。
荻窪
これが映写室を館内からみたところですね。
館内からみた映写室。
館内からみた映写室。
宇井野
映写室の窓がある壁も、また美しいですね。重厚で、パイプオルガンのある教会や音楽ホールみたい。この凹凸にも、音響のための工夫があるんでしょうか。
荻窪
この凹凸のある壁、「コペンハーゲンリブ」と呼ばれていて、昔銀座七丁目にあったヤマハホールにも使われていたものだそうです。お察しの通り、音の響きを整える役割があるそうです。
この凹凸がコペンハーゲンリブ。
この凹凸がコペンハーゲンリブ。
宇井野
座席の座り心地や音響にも、映画を楽しんでもらうための心配りがあるんですね。
荻窪
そうなんです。音響もさることながらこの凹凸が気持ちいいですよね。ではまた外へ出ましょう。
宇井野
さきほど、銀座会館がシネスイッチ銀座に名前を変えたと伺いましたが、それは大規模改修で、エントランスが今のデザインになったときでしょうか?
荻窪
わたしもそう思っていたのですが、実はちょっとずれてて、昭和60年に大規模改修をして、その2年後だそうです。しかも、そのときは地下がシネスイッチ銀座で3階は銀座文化のままだったのです。まず、メインの映画館である地下がシネスイッチになったのですね。
宇井野
シネスイッチの名前はどういう由来なんですか?
荻窪
当初は松竹のロードショー館だったのですが、独立館になるにあたり、日本ヘラルド映画、フジテレビジョン、籏興行の3社で、邦画と洋画を切り換えて上映する配給システムを構築し、それを機にシネスイッチを名づけたのだそうです。
宇井野
邦画と洋画を「スイッチする」という意味が込められているんですね。
荻窪
地下がシネスイッチで、3階がまだ銀座文化劇場だった時代の写真も見せていただきました。これはニューシネマパラダイスなので、1989年ですね。
1989年頃のエントランス。大ヒットしたニューシネマパラダイスの上映時だが、よく見ると2階が銀座文化、地下がシネスイッチ銀座になっている。
1989年頃のエントランス。大ヒットしたニューシネマパラダイスの上映時だが、
よく見ると2階が銀座文化、地下がシネスイッチ銀座になっている。
宇井野
今では、いろんな場面でテーマ曲を耳にしますよね。私は公開当時には観ていないんですが、映画好きの先輩に強く勧められて観ました。映画館の思い出を描いた作品だから、今回の閉館にも重なるところがありますね。映画を愛する人には、たまらない作品ですものね。
荻窪
このニューシネマパラダイスが大ヒットしたんです。入りきらなくて、行列が銀座四丁目交差点あたりまでできたほどだそうで、40週という超ロングランになりました。あの頃は単館上映だったので、銀座にこないと観られなかったのですよね。銀座という場所だから背伸びしてみる作品や大人の作品、一歩先を行く作品を上映し続けられたそうです。
宇井野
3階がシネスイッチになったのは?
荻窪
1993年だそうです。意外に最近。いや前世紀のことなので最近ではないのだけれども、地下に比べるとシンプルな感じでした。
3階にあるシネスイッチ2。
3階にあるシネスイッチ2。
宇井野
ここが一時期ボウリング場だったんですよね。
荻窪
こんな様子だったそうです。映画館に戻した後、天井を取り払って空間を広げ、現在のホールになったと伺いました。
ハタボウル時代の貴重な写真。
ハタボウル時代の貴重な写真。
宇井野
面白いな。写真で見るとなんか可愛らしいボーリング場ですね。
荻窪
ひととおり見てきましたが、エントランスのカーブがモダンな感じですし、大規模改修で外壁が白くてきれいになっているので、そんなに古い建物とは思えなかったのですよね。でも昭和30年竣工なので、もう70年建ってるんです。いわれてみるとびっくりです。そうそう、往時の名残ということで、ビル沿いの狭い路地も案内していただきました。今は完全に入口も塞がれてますが、煉瓦の外壁や窓や入口の名残がまだ残ってまして、昔はここにしゃれたお店があったそうです。狭い路地にはいったところにこれがあるとすごく渋そう。
裏路地に往年のレストランの名残が
裏路地に往年のレストランの名残が
入口の上の軒に時代を感じる
入口の上の軒に時代を感じる
宇井野
あっここは!ここ、おしゃれで美味しい、確かイタリアンかな?連れて行ってもらったことがあります!
荻窪
なんと。こんな隠れ家っぽいレストランを知っていたとは
宇井野
自力では見つけられないし、見つけてもおどおどして入れません。グルメな先輩のおかげです。外国のワインカーヴのような入口で、「銀座って、なんておしゃれなんだ!」とびっくりしました。
荻窪
そんなお楽しみを提供してきて70年以上経ったビルも建て替えになります。
宇井野
閉館にあたっては、何かお別れのイベントとかはあるのでしょうか?
荻窪
籏興行さんによると、映画館は日常の中に当たり前に存在する場所で、特別なお別れイベントを催したりせず、日常の中で自然に最後の日を迎えるのがふさわしいと考えているそうです。リバイバル上映もしないのですかと尋ねてみると、過去のヒット作を上映しても、当時誰とどんな状況で銀座でその映画を観たのか、という体験や街の記憶はその時だからこそのもので、それを再現できるわけじゃない、だからあえてノスタルジーな気持ちを呼び起こさずに静かに幕を下ろす方針を取ってます、ということでした。
宇井野
なるほど。映画を観に来る方を、最後までいつも通りに迎える。シネスイッチらしいお別れの仕方だな、と思います。
日常の中でひっそりと幕を下ろすシネスイッチ銀座
日常の中でひっそりと幕を下ろすシネスイッチ銀座

シネスイッチの思い出も、銀座文化劇場の思い出も10人いれば10の思い出があることでしょう。一人ひとりの小さなエピソードに触れられる時代です。建物が姿を消しても、そこで過ごした時間は、語られ、書き留められることで残っていくのでしょう。
映画を観て、食事をして、お茶を飲む。時にはボウリングも楽しむ。時代ごとの楽しみを受け止めてきた建物でした。次にここに生まれる建物は、銀座にどんな時間をもたらし、文化を案内してくれるのでしょうか。次の姿を楽しみに待ちたいと思います。